みなとまち空き家プロジェクトレクチャー
先週の土曜日、403architecture[dajiba]の辻琢磨さんをお迎えし、みなとまち空き家プロジェクトレクチャーを開催させていただいた。
建築設計のみならず、場づくり、ワークショップ、メディア、学会、教育など幅広い活動について「動く」、「見る」といったその背景にある一貫した考えをもとにお話いただいた。
問題意識や活動の領域が共通していることもあってか、スッと入ってきたり、ハッとさせられたり、一つ一つの言葉が腑に落ちる。
町に飛び込み没入しつつも、軽やかに行動し、そしてその足跡をしっかりと言葉にして建築の歴史に接続させようとしている。403が面白い理由が改めてわかった。
人、場、もの、ことといったリソースを一旦そのリンクを外しシャッフルさせることで、新たにできる関係性によって何を生み出せるか。
膨大なリソースや情報があふれた現代において、最適解を求めるのはもはやナンセンスであり、リソースを流動させ、どこまでいっても最もらしい仮説であるという前提においてある偶然性を伴い立ち現れる関係性が状況を上手く回していけるように組み変えればよい。
マルチエンディング的で面白い。そこから展開して、人、場、もの、ことの必要なピース、プレイヤーが偶然と必然を繰り返し、ある時期、ある地域に集まってくることがあり、その状況下において様々なプロジェクトが同時多発的に発生し、町を動かし変革するようなことがある。
それが今の名古屋の港まちなのかもしれないと。
先日もとあるアート関係の重鎮から、このような状況下で生まれる現象や場そのものではなく、その背後にあるストラクチャーをこそ記述すべきであると助言をいただいた。
加えて、辻さんから、建築設計、研究、教育、メディア、まちづくり、アートフェス、マルシェ、空き家再生など拡散する米澤自身の活動に対しても、なにかに特化して収束させるのではなく、この状況そのものをひとつの生態系のように位置付け、自身のアイデンティティを確立せよというメッセージをいただく。
また、辻さんは、モチベーションの大切さを繰り返しお話されていた。
やりたければやればよいし、やりたくなくなればやめればよいと。
その通りだと思う。とても素直で潔い。
教員やチームを率いる立場としては、モチベートするということもしていかなければならないわけであるが、組織を維持すること、手段そのものが目的化してしまうのも気をつけなければならない。このタイミングで辻さんに来ていただけてよかった。
レクチャーで聞く彼の考えや活動は、名古屋の港まちやみなとまち空き家プロジェクトにとても示唆的であったし、辻さんとの会話は刺激的であった。ぜひ今後も継続して交流させていただけるとありがたい。ありがとうございました。





